現在、原爆ドームの名称で知られているこの廃墟は、元来は地上3階・地下1階の煉瓦造りの構造の中央に、地上5階建て・高さ25mのドーム部がある建造物であった。
1915年4月5日に竣工、同年8月5日、広島県物産陳列館として開館されたものである。同館はチェコ人の建築家ヤン・レッツェル(Jan
Letzel,
1880年-1925年)によって設計され、ネオ・バロック的な骨格にゼツェッション風の細部装飾を持つ混成様式の建物であった。
その後1921年に広島県商品陳列所となり、同年には第4回全国菓子飴大品評会の会場にもなった。
1933年には広島県産業奨励館に改称され、この前後は盛んに美術展が開催され、広島における美術の普及に大きく貢献した。
しかし、1944年以後、産業奨励館はその業務を停止し、内務省中国四国土木事務所・広島県地方木材株式会社・日本木材広島支社など、行政機関・統制組合の事務所として使用されていた。